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ここでは、ヘリコプターにまつわる様々な事どもを述べてゆきたいと思います。
記述はあくまで筆者の主観であり、異見もあるかと思いますが、まず、笑って見逃して下さい。
また、アドバイス・訂正要求・共感等のご意見がある方は、ご一報下されば幸いです。
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ヘリコプターというものの存在は知っていても、実際に操縦する事など、なかなか少ないかと思う。
スタッフ社長、また、私は免許持ちである。アメリカで取得した。
免許証の類は、どんな物であれ、手にした時は嬉しいものだが、この免許証そのものが、日米の違いを如実に語っているようで、おもしろい。
日本の免許証は、”自家用操縦士技能証明書”という金文字が書かれた立派な手帳になっていて、開いてみると、写真の下に「航空法第23条の規定により、これを交付する」とある。
次をめくると、限定事項・種類・等級・形式などを記述する欄があり、最後に航空局の印鑑が、デンと押されている。
いかにも、お上によって下された、アリガタイモノという感じである。
アメリカの、と言えば、送られてきた一枚の紙から自分で切り取るようになっているだけである。
それだけである。
「これはただの通知書ではなかろうか?」と思ったほど、簡単な物だ。
内容も、かなり違う。
自家用・事業用の違いがあるのは日本でも同じだが、原則的に言えば、制限重量以下であれば、ジェットエンジン、ピストンエンジン問わず、なんでも乗れちゃうのである。
まあ、実際には、さあ乗ってみろと言われても、はいそうですかと簡単にいくものではないが、少なくとも資格の上ではOKとされている。
表現を面白くして言うならば、2人乗りの小さな訓練用のヘリコプターで取った免許で、”アパッチ”やら”コブラ”などというハイテクの粋を集めた戦闘ヘリにでも乗れてしまうのである(実際に、何らかの理由で払い下げになった”コブラ”が売りに出ているのを、雑誌で見た事がある)。また、伝え聞いた事で、どこの州かは忘れたが、自家用免許でジャンボジェットを飛ばしている人がいるそうな。
なんとも豪儀な話であるが、アメリカでは、この手の事はそう珍しい話ではない。
こんなのも、ある。

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アメリカ在住経験のある方は、日本とはあまりにも違う、”おおらかさ”や、”いいかげんさ”、というものに一喜一憂された事があるかと思う。
固定翼機の学科試験を受けた時のこと(つまり初めての試験である)。
少なからず緊張していると、試験官が入ってきて、テスト用紙を渡しながら注意事項を述べると、「終わったら呼んでね」と言うなり、部屋から出て行ってしまった。後に残されたのは、2人の受験生だけである。
あれあれ、と思いつつ机に向かっていると、今度は2人連れが入ってきて、講義を始めてしまった。
これが、やたらと声高に喋るし、こちらの事なぞいっこうに構わぬ様子でいるが、こっちは気になってしょうがない。
文句も言えず、テストは何とか終わらせたが、腹立たしいやら、あきれるやら、なんともはや、である。
また、健康診断でのこと。
これは、医者との会話を通じて簡単な英語のチェックも兼ねている。
ここで「こいつは英語が出来ない」と判断されてしまうと、免許の上で差し障りがある。それなりに構えていると、いきなり、「日本で一番大きな島はなに?」と聞いてきた。
ハテ?と思いを巡らせているうちに、ハタと思いついて言ってみた。
「Honsyu?」
「Very good!」
そう、彼らにとって見れば、本州も島なのである。
これもまた固定翼機の話であるが、実地試験での事。
私のベースは、トーレンスという街にある空港で、試験は近くのロングビーチという空港で実施するのだが、そのために飛行機を持って行かなければならない。こちらは、まだスチューデントパイロットであるから、インストラクターと一緒に行く予定でいた。
ところが、試験当日になると、インストラクターが、なにやら用事があるとの事で、一人で行けという。
ロングビーチ空港は、さんざん訓練したところであるから大丈夫だと、宣うのである。
確かにそのとおりであるから、と胸に一抹の不安を抱えつつも、プルプルと飛んで行き、なんとか無事に到着した。
実地試験の前に、オーラル(口頭試問)なるものがある。
これは、ヘリコプターの試験でのエピソードだが、そのオーラルでのこと。
ヘリコプターには、固定翼機と違った難しさがあり、これは様々な物理的現象が起因するのだが、この時はそのうちの一つについて、説明せよと言う。
私は困った。私の訓練機にはその現象が構造的に起こらないので、あまり勉強していなかったのだ。しどろもどろになりながら、何とか答えようとしていると、「その現象は君の機体では起こるのか?」と聞いてきた。すかさず答える。 
「No!!」
「Good!]
これこそ、渡りに船と言うものであろう。
話は、固定翼機の試験に戻る。
さんざん待たされたあと、オーラルを終えて、飛び上がる。
飛行試験のいろいろな項目をこなし、さあ着陸という段になって、試験官がショートフィールドランディングで降りろと言う。
これは、短い距離で止まるためのやりかたで、そのための訓練は積んでいるのだが、ただでさえ難しい着陸なのに、こんな事を言われては、プレッシャーはいや増すばかりである。
いよいよ滑走路が近づいてきたその時、ちょっと貸してみろと試験官が操縦桿を握るや、それは見事なショートフィールドランディングを披露してくれた。
そう、披露してくれたのである。私の試験なのに・・・
さすがにウマイが、と思いつつ隣を見ると、「ドーダ、スゲーダロー」と言わんばかりの得意満面である。
これはラッキーなのか、いや、せっかくその気でいたのに、などと頭の中は混乱しつつも、試験は終わったのである。
「君も今日からパイロットだ」と仮免許証を手渡され、喜びも束の間、ふと外に目をやると、すでにとっぷりと暮れているではないか。
これから、夜の空をトーレンスまで帰らなければならない。非常にマズイ事になった。
なぜマズイのか。これには説明が要る。
夜間飛行の訓練は、インストラクター同乗でしか行わない。つまり、私はこれまで一人で夜空は飛んだことがないのだ。 しかし、免許を手にした瞬間から、私は昼でも夜でも飛べるパイロットなのである。
飛んで良いのだ。しかし・・・
件の試験官もさすがに心配顔である。
「何なら一緒に飛んでいってやろうか?帰りは車で送ってくれればいい」
「だいじょうぶですっ」
と、強気に飛び立ち、何事もなく到着しながらも、肩から大きな携帯電話を提げて待っていてくれた友人たちが着陸灯の灯りの中に見えたときは、涙がこぼれそうになるほど嬉しかったのを覚えている。
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どうも、固定翼機の話が多くなってしまうが、初めて自分だけで空を飛んだのも、固定翼機である。
免許を取るまでには、いくつか節目があって、最初にやって来るのが、”ソロ”といわれる単独飛行である。
”クロスカントリー”がその次に来るが、その中でも、いわゆる”ロングのクロカン”は、ほぼ半日かけて長距離の飛行をする。
そして、最後が、免許取得の瞬間である。
それぞれに違う種類の感動があり、何が一番嬉しいものかと問うても、人によって答えが違う。
”ロングのクロカン”は、自分の力でここまでやって来たという喜びがあるし、試験に合格し、”パイロット”になれた時は、なんともいえず晴れがましい気持ちになるものである。
しかし、私の答えは、なんといっても”ファーストソロ”だ。
あの日のことは、思い出しただけで幸せな気分になれるほどの鮮明さで、私の脳裏に焼き付いている。
同乗飛行での訓練のあと、「これからソロだ」とインストラクターに言い渡された。
予感はあったものの、いざ、となると、心臓を掴まれるような不安がこみあげてくる。
「下着はきれいな物を着けているだろうか」などと、妙な事を考えてしまう。家族のことも、ちらりと頭をよぎる。
他の飛行機も少なく、天気は快晴、絶好の”ソロ”日和である。
飛行場には、ある定められた飛行経路があり(トラフィックパターン、下図参照)、それに従って離着陸するしくみになっている。
さて、いよいよ滑走路を走り始めると、飛行機がやたらと軽い。
隣に、巨漢のインストラクターがいないためだ。
ふわりと飛び上がって、アップウィンド、クロスウィンドと、
高度を上げてゆく。
この間は、高度も低く、スピードもないうえ、次々とターン
しなければならないので、何かあると、非常にアブナイ
時間的状況である。
ちなみに、ここらへんでエンジンが止まったら、
アップウィンドの時は、延長線上にある貯水池へ、クロスウィンドの場合は、平行している道路へ降りろ(落ちろ?)と教えられている。
落ちるときは、なるべく一人で死ねということだ。
間違っても、滑走路に戻ろうとするな、ともキツク言われる。
なぜかというに、スピードがない時にターンしようとすると、飛行機はたちまち失速してしまうのである。
そうは言われても、なんとか滑走路に戻ろうとするのが人情というものだが、離陸時の事故は、これで起きる事が多い。
私も、このような事故で、知人を失っている。
幸い、エンジンも止まらず、ダウンウィンドまでやって来た。
スロットルを絞り、水平飛行にはいると、ようやくあたりを見回す余裕が出て来る。
当たり前だが、隣にはいつものでかい図体も見あたらない。
私は一人で空を飛んでいるのだ!
「!!!!!」と絶叫し(何を叫んだのかは覚えていない)、しばらく夢気分でいたが、フト、我に返る。
そう、昇ったものは降りなければならない。隣を見ても誰もいるはずがない。自分でこの飛行機を降ろさなければならないのだ。
こうなると、あのでかい図体も、ほのかに懐かしくもある。
スロットルをさらに絞り、高度を下げてゆくが、ベースに入るときも、ファイナルのターンも、「はい、曲がってー」とばかりに、管制官が教えてくれる。
普段には無い親切である。
妙な、と思いつつも、着陸すると、スピーカーから管制官の「Congratulation!!」という声が聞こえてきた。
まわりでなにやら騒いでいる様子も伝わってくる。
いつもは恐い管制官(と思っている)が、私のファーストソロを祝福してくれているのだ。
飛び立つ前の指示どおり、タワー(管制塔)の下に戻ってみると、インストラクターが、長い手を振りながら、顔をくしゃくしゃにして迎えてくれた。
タワーで、私のファーストソロを見守っていたのだ。
ファーストソロの後には、手荒い祝福が待っている。 と言う話を聞いていた。
プールに投げ込まれるか、バケツで水を掛けられるか、やりかたは様々である、とも聞いていた。
私の場合は、ちょっと風変わりであった。
着ているTシャツを脱がされ、背中の部分を切り取り、居合わせた連中が、好きなことを書いてゆくのだ。
気に入っていたシャツだったので、かなり抵抗したのだが、寄ってたかって脱がされてしまい、むりやり”記念品”にさせられてしまった。
今でも、手に取ると顔もほころんでくる、思い出の詰まった、懐かしい”記念品”である。

飛行機(ここで言う飛行機とは、セスナに代表される小型機である)と、ヘリコプターの違いは、自動車とオートバイの違いに少し似ていると、私は思う。
飛行機は、たとえ4人乗り程度の小さなものでも、実用性がある。荷物を詰めるとか、操縦安定性が良いなどの意味である。
だから、遠距離の飛行ではこちらの方が楽だし、経済的でもある。
特に、レンタルの料金が格段に違う。
例えば、4人でセスナを借り、夕暮れの海岸線を1時間ほど飛んで、郊外の空港内にあるレストランで食事を取る。
LAの夜景を楽しみながら帰ってきて、往復2時間の飛行であるから、現在の為替レートで計算すると、ひとりあたま約¥4,500程度である。
10年ほど前は、もっと安かった。今は昔、バブルによる円高のおかげだ。
であるから、飛行機の連中は、ヘリコプターの事をあぶなくて、金のかかる物、なにを好きこのんで、という顔をする。
多くの人は、もし、ヘリコプターのエンジンが止まったら、石のように落ちてしまうと思っているであろう。
だが、エンジンが止まっても、ローター(回転翼)はフリーに回る仕組みになっていて、揚力も発生するし、コントロールも効く。
ちょうど、竹とんぼが落ちてくるのを想像してもらえば、良いと思う。
もちろん、落ちてゆく事には変わりがないが、着陸する場所を探す時間はあると言うことだ。
飛行機は、高度の6倍の距離を滑空できるとされているが、こちらは着陸に広い場所を必要とする。
いずれにしても、高度というものは大事であり、パイロットは、”Altitude is your friend"(高度はあなたの味方)と表現するのである。
ヘリコプターの事故が多いのは、多くの場合、危険な場所を低い高度で飛ぶ事が原因である。
海上や、山間での救助活動を想像してもらえば、理解しやすいかと思う。
ヘリコプターは、ローターの回転面を傾けることによって、飛んでゆく方向を決める。であるから、ホバリング(空中停止)したり、バックしたりといった芸当もできるのである。
また、多くのヘリコプターは、後ろに小さなローター(テールローターという)を持っている。
このテールローターが、大きなローターが回る事によって胴体が反対方向に回ってしまう、という現象を抑えているのである。
常に一方向に回ろうとする胴体をテールローターの推力でコントロールし、その力加減によって機首方向を決めているという事だ。
ゆえに、機首方向と実際に飛んでゆく方向は違うという飛行(横向きに飛んでいるのがこの状態である)も出来るのである。
であるから、固定翼機は水平飛行中であれば、各コントロールから両手両足を放してしまっても、とりあえず真っ直ぐ飛んでいられるが、ヘリコプターでは、クルクルと回りながら落ちてしまうであろう。
不安定なモノを操作によって安定させ、さらに、それを操作によって不安定な状態にする事で、俊敏な動きを可能にする、といった作用が、オートバイのそれと似ていると思うのである。
 
個人的には低高度を飛べるという事が、ヘリコプターの魅力の一つであると思っている。
地域にもよるが、500ft〜1000ft(150〜300m)を飛ぶことが多い。
LAでいえばハリウッドサインの前をゆっくりと飛び、ダウンタウンのビル群をぐるっと廻ってみる。ビーチに沿って、砂浜にいる人たちを横目で見ながら、また、砂漠にある干上がった川を舐めるように飛び、そのスピード感を堪能する、といった事も(合法的に)出来てしまうのも、ヘリコプターである。
 
私は、パイロットという人種の端っこに名を連ねているに過ぎない存在ではありますが、空を飛ぶ事の魅力の、ほんの一部分でも伝えることはできるかと思い、このコラムをしたためました。
拙い文章ではありますが、これを読んだ方が少しでも、空を飛ぶという素晴らしいことに興味を持っていただければ、幸いです。
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